教福寺について
教福寺は、大阪と京都の中間に位置する寝屋川にある東本願寺(京都市)を本山とする真宗大谷派の寺院です。
江戸期の創建以来、この地に堂宇を構えてきましたが、平成〇年(2007年)に現在の本堂が新築され、落慶法要が営まれました。

現在の教福寺(2007年落慶) 
かつての本堂
親鸞聖人について

親鸞聖人は、今から約800年前に誕生され、平安時代から鎌倉時代にかけて、90年のご生涯をおくられた方です。
9歳で出家され、20年間比叡山で厳しい修行を積まれますが、迷いの霧が晴れることはなく、聖人は山を下りる決心をされ法然上人をたずねられます。そして、「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇われます。
あらゆる人びとに救いの道をひらいたこの教えによって、多くの念仏者が生まれましたが、それまでの仏教教団からの反感をかうこととなり、朝廷への訴えによって、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となりました。 その後に聖人は越後から関東に移られ、そしてその地で二十年間、懸命に生きるいなかの人々と共に暮らし、すべての人が同じくひとしく救われていく道として、念仏の教えを伝えていかれました。 そしてこのような聖人の願いと生き様は、教えに出遇って生きる喜びを見い出した多くの方々のご懇念によって、今日に至るまで相続されてきています。
親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、人と生まれた喜びと、共に生きることを大切に受けとめたく願います。
東本願寺(真宗本廟)について

御影堂 
渉成園(枳殻邸)
東本願寺は、真宗大谷派の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影(御木像)を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。(現在の地に堂宇が移るまでの経緯は次の難波別院の説明にて)
東本願寺は、親鸞聖人があきらかにされたお念仏の教えに出遇うための帰依所として聖人亡き後、今日にいたるまで、門徒・同朋のご懇念によって相続されてきました。親鸞聖人は、人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人々に、生きることの真の意味を見出すことのできる依り処を、南無阿弥陀仏、すなわちお念仏の道として見い出されたのです。それは混迷の中にあって苦悩する人々にとって大いなる光となりました。そして、同じように道を求め、ともに歩もうとする人々を、聖人は御仲間として敬われたのです。
世界最大級の木造建築物と言われる御影堂には、親鸞聖人の御真影(像)が安置されています。御真影は親鸞聖人がお念仏の教えを説き示す姿を表現したものと言われています。どうぞ心静かにご参拝いただき、親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、お一人お一人の生き方をお念仏の教えに問い尋ねてまいりましょう。
また、東本願寺では、御影堂にご遺骨をお収めする「真宗本廟収骨」や仏弟子としての名前(法名)を授かる「帰敬式」などを行うことでできます。
東本願寺(真宗本廟)公式サイト >
〒600-8505 京都市下京区烏丸通七条上る
JR「京都駅」より徒歩7分・京阪本線「七条駅」より徒歩15分
渉成園(枳殻邸)
池泉回遊式庭園をもつ東本願寺の飛地境内地(別邸)です。1641年に三代将軍・徳川家光から寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。春には梅・桜、夏には菖蒲・睡蓮、秋には紅葉、冬は雪景色と変化し、その変化に富んだ景観は「十三景」と称されて、高い評価がなされています。
大谷祖廟(京都東山)
渉成園同様、東本願寺の飛び地境内である大谷祖廟は、親鸞聖人が亡くなられて後、末娘の覚信尼が廟堂を建立して聖人の御影像を安置したのを起源にしており、現在は、聖人の御真影がある東本願寺を聞法の根本道場、そして、この大谷祖廟を聖人の墓所としています。
大谷祖廟には、聖人をはじめ、本願寺の歴代のご遺骨が納められている他、一般のご門徒の納骨も受付しています。
大谷祖廟事務所 公式サイト >
〒605-0071 京都市東山区円山町477
京阪本線「祇園四条駅」より徒歩12分
難波別院(南御堂)について

大阪は浄土真宗にとってとても重要な土地です。
本願寺第8代・蓮如上人(1415~1499)は大阪(大坂)という地名の名付け親として知られていますが、これは1496年、現在の大阪城の地に「大坂坊舎」を建立したことに由来します。その後、大坂坊舎は1533年に本寺と定められます。これが石山本願寺です。以来、石山本願寺を中心に寺内町が整備され、大阪の町は以後、飛躍的な発展をとげるのです。しかし、第11代・顕如上人の時、天下統一を目論む織田信長と本願寺との間で、1570年に「石山合戦」が勃発。石山合戦は11年間にもおよびますが、和睦後、その地を退去することになり、1583年、羽柴(豊臣)秀吉が石山本願寺の跡地に大坂城を築城するのです。
その後、1592年に顕如上人が亡くなると、長男の教如上人が本願寺第12代を継職しますが、教如上人は1年足らずで秀吉により隠居を命じられます。(本願寺の東西分派はこの出来事をきっかけにしています。)教如上人はその後も積極的にお念仏の教えを各地に広められ、1595年には大阪に戻り「大谷本願寺」を建立、その後、1598年に現在の難波別院のある地へと移転します。また、1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進されます。これが、現在の東本願寺です。
教如上人は、東本願寺建立とともに、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、お念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきたのです。
なお、大阪のメインストリートである御堂筋は、この難波別院(南御堂)と浄土真宗本願寺派の津村別院(北御堂)に由来してます。
難波別院(南御堂)公式サイト >
〒541-0056 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目1−11
大阪メトロ御堂筋線・中央線「本町駅」徒歩1分
